新製品・再生産品情報

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マイクロエースの2011年10月発売予定品の一部のご案内をいたします。
順次ご予約受付を開始いたしますので、今しばらくお待ち下さい。
本日は、京阪2600系新造車新塗装、223系0番台関空・紀州路快速のご案内をいたします。

卵形通勤車の掉尾を飾った2600系新造車

京阪2600系

京阪電車といえば卵形の断面をした通勤車というイメージが強いという方もおられると思います。
その卵形通勤車のルーツは1959年登場の2000系「スーパーカー」です。磁気増幅器を備え、平坦線でも回生ブレーキを常用できる当時としては画期的な車両でした。
しかし、1983年に架線電圧1500Vへの昇圧が決定し、対応しにくい2000系の処遇が問題となりました。結論としては、2000系を廃車して、車体・台車を流用して2600系を代替新造することとなりました。1978年から順次代替新造は始まりましたが、増備の途中の1980年に(旧)1800系を代替する必要が発生。新車を製造するにも1500V対応の本命は設計途上。このため、2600系(車体流用車)の設計を元に、完全新車が7両×2本登場しました。基本的に車体流用車と変わりませんが、前面のヘッドライトが小さく、標識灯は角形、側面のドアガラスには銀枠がつき、裾部には水切りが付いています。また、台車はシンドラー式のKW37と緩衝ゴム方式のFS399Cを履いています。ドアエンジンが新造のために在来車とは音が異なり、ブレーキも排気音が独特のものとなっているため、音を聞いただけでわかります。いわば卵形通勤車の中でも完成された姿となりました。
車体流用車と識別のために編成番号は30番台を名乗り、「2630系」とか「2600系30番台」とも呼ばれています。
1981年には増発用でさらに7連×2本が増備され、このグループは7連×4本の合計28両が現在も準急・区間急行・普通を中心に活躍しています。
なお、いわゆる卵形通勤車の新造はこれにて終了(厳密には1985年の2381~85がありますが、これはあくまでも増結車)。卵形通勤車の掉尾を飾り、次は昇圧に備えて登場した本命とも言える6000系に移行し、京阪車両史に一つの区切りが記されました。

今回は新塗装車が発売されます。編成は2633Fとなっています。既発売の2200系・2400系から8000系・8000系30番台などと一緒にお楽しみ下さい。
こちらのページです。
(N) 3969 京阪2600系 新造車 新塗装 7両セット

関空・紀州路快速の223系0番台

223系0番台

1994年9月4日。泉州沖に関西国際空港が開港しました。
アクセスは鉄道がメインとされ、南海とJR西日本が乗り入れました。
開業時には「走るかに道楽」とか「鉄人28号」とかいわれた南海「ラピート」、「はんなり」をテーマとしたオーソドックスなスタイルの281系「はるか」のライバル対決が注目されました。
もちろん、アクセス列車には特別料金不要の南海の空港急行(普通)、JRは「関空快速」(「シャトル」)が用意され、比較的近距離の空港利用客や空港従業員の輸送にあたることとなりました。
さて、関空快速は京橋・大阪から関西空港を目指すものでしたが、当初はJR難波発も運転されており、天王寺で分割併合を行っていました。また、1996年にはJR難波駅上にO-CATがオープン。同所で航空機のチェックインサービスを行うこととなりました。このため、223系の2両編成には荷物室が設置されています。
しかし、ここで意外なことが起こりました。
関空快速は環状線から関西空港まで乗り換えなしで結ぶのが当初のもくろみでしたが、阪和線沿線の熊取、東岸和田、和泉府中あたりから大阪駅までも乗り換えなしということで、阪和線沿線の潜在需要の掘り起こしに成功しました。つまり、阪和線沿線から大阪方面への通勤・通学・買い物の足として定着してしまいました。一方で、O-CATの惨状は目を覆わんばかり。いくら「難波」を名乗っていても所詮「湊町」。難波から関西空港までならば安くて速い南海電車を選ぶのが常識。遅いと言われていた空港急行でさえ、同区間を43分で走破するのに対して、JRは1時間以上かかります。
そして、関空快速=実質的に阪和~大阪直通快速の成功を見て、和泉砂川や和歌山方面からも直通運転の要望が高まり、1999年に「紀州路快速」が誕生。京橋~日根野間は「関空快速」と併結して、日根野で切り離しの上、それぞれの目的地に向かいます。
編成は当初5両+3両であり、時間帯によって目的地への両数を変えていました(これが誤乗の原因となっていました)。なお、この陰で、ひっそりとJR難波発着の関空快速は廃止されました。
この「関空・紀州路快速」は大好評で、始発駅で席が埋まる状態が当たり前となっていました。
そこで、2008年に223系を大増備の上、4両+4両で運転する形態にあらためられました。
また、2011年には225系が登場。関空・紀州路快速を大増発し、日根野以南は各駅停車にあらためられており、沿線の乗車チャンス拡大を図りました。

商品は2種類ございます。

O-CAT対応の荷物室があった時代(2+6両)です。
(N) A3371 223系0番台 O-CAT 荷物室設置車 8両セット

関空・紀州路快速 3+5両です。
(N) A3372 223系0番台 関空・紀州路快速 8両セット
余談ながら、2+6両に組み替えれば、開港時の姿になります。(付属編成のサハ223-0を基本編成2両目に移せばOK:厳密には車番が異なりますが、雰囲気ということで。)

これ以外の商品につきましては、明日以降にご案内いたします。今しばらくお待ち下さい。

新製品・再生産品情報,既存商品案内

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鉄道コレクション第14弾のご予約受付、京都市電の発売ごあんない、その他アルファモデルについてご案内いたします。

まずは、鉄道コレクション第14弾からです。

■戦後の復興に貢献した規格型電車

「規格型電車」といっても、ご存知のない方が多いと思います。もう、60年以上前の話ですので・・・。
戦後の混乱期、車両を大量に製造する必要があり、運輸省が私鉄電車の統一規格を制定。製造能率の向上を図ろうとしました。
ピンとこないという方には今の「E231系・E233系」と相鉄、小田急、東急・・・といった現在増備中の車両の関係と思って頂ければと思います。たとえば、小田急4000形はE233系をベースとした車両・・・もちろん、小田急の味付けはされていますが・・・。というところが近いかと思います。どちらかといえば、こちらは「コストダウン」という意味合いが強いですが・・・。

というわけで、規格はA’、B、B’、C、C’が制定され(実際には20m級のAもありましたが、製造されませんでした)、各社が戦前の車両に近いとか実情にあったスタイルのものを選んでメーカーに発注しました。もっとも、車体長や車幅の選択肢が少なく、やむを得ず今までの車両に比べて幅が広いものを導入することになった(京阪1300系:A’型 車体長17m、幅2.7m)例もあります。戦前の京阪では最大幅2,590mmでしたが、規格型A’型を導入せざるを得なくなったため、ホームを削ってどうにか入線させたという例もあります。これが結果的に京阪の車両大型化を果たしたという話ですが・・・。
(※幅を合わせようとB型を使うと、車体長15m・幅2.6mとなり、今度は寸足らずになってしまいます)

話が脱線しましたが、A’型は車体長17m、車体幅2.7mであり、私鉄にはちょうどいい大きさ・・・いや、恐らくA’型は私鉄の標準的なサイズを元にしたともいえます・・・であるために、全国の私鉄で採用されました。では、「E231系のようなものが全国ゴロゴロしていた」と思われそうですが、決してそうでもなく、前面のカーブは会社ごとに微妙に異なっていたり、貫通扉、アンチクライマー、などで大きく雰囲気は異なっていました。規格型といっても、割と緩やかなところもありました。

その中でも実に71両も製造された名鉄3800系は特筆すべき存在といえます。
名鉄では、神宮前を境に東部線・西部線に別れていた路線を直通運転するべく、1948年から神宮前以西の路線を1500V昇圧することになり、それに対応した車両が必要であるといった背景がありました。スタイルは戦前の名車・800系に似ており、奇しくも車番も「3800」を名乗っていました。
資材が少ない戦後の混乱期に生まれた車両とはいえ、800系に車体も性能も似ていたために使い勝手もよかったのが、大量増備された理由の一つであったと思われます。
ただ、戦後すぐに製造されたために車体の傷みが目立つために外板の張り替えなどが早期に行われたり、他社へ譲渡されたり、車体を載せ替えられたりという事例も見られました。とはいえ、やはり、使いやすい電車ということで重宝され、実に1990年まで使われていました。

実は、規格型電車故に「そっくりさん」が他社にもいるので・・・と抵抗感なく譲渡されたという例も見られます。東急3700系→名鉄3880系は面白い例で、1973年のオイルショックでマイカー通勤から電車通勤に切り替える人が多かった中京圏では名鉄の乗客が激増。ラッシュ時間帯は「パノラマカー」のような2扉・転換クロスシート車ではさばき切れませんでした。犬山線に至っては、戦時中に製造された3550系など3扉・ロングシートのAL車を集中投入して、8両編成で力走するというシーンも見られました。
そこへ、3扉車の兄弟・東急3700系に白羽の矢が立ち、3連×7本の21両(厳密には3600系も含む・・・ほとんど車体は同じ)が名鉄入り。形式も「3880系」を名乗り、今まで頻繁に起こっていた遅延を見事に解消し、3扉通勤車の必要性が立証され、1976年に「明日の通勤車」6000系が導入されるきっかけとなりました。
※規格型同士とはいえ、やはり前面:特に前面のカーブや雨樋まわりは独自性が見られます。なので、E231系と関東私鉄の車両のように「明らかに」というわけではありませんでした。

また、富山地鉄でも、モハ14750形と名鉄3800系は同じ規格型なので、3800系2連×7本が譲渡されたという例もあります。窓配置が少々異なりますが、基本的なスタイルは同じであり、まるで同一形式のように使用されていたという例もあります(1985年以降の話ですが・・・)。

まあ、単に「鉄コレ第14弾受付中」と書けばいいのでしょうが・・・。このような背景を知っておけば、鉄コレ車両のイメージもふくらむのではないかなと思っています。140年に渡る華やかな日本の鉄道絵巻の中にこのような時代もあったということは記憶にとどめておいていただければ、決してE231系と関東私鉄の関係は今に始まったものではないということがおわかりいただけると思います。

能書きが長くなりましたが、下記のページでご予約受付中です。

(N) 鉄道コレクション第14弾(10ヶ入り)
1ボックス=10ヶ単位で販売いたします。何が入っているかはお楽しみです。

トレーラー化パーツセットです。
(N) 212546 TT-03 トレーラー化パーツセット
カプラーが黒色です。
(N) 213390 TT-04 トレーラー化パーツセット
カプラーが灰色です。

動力ユニットです。車端部のパーツを選択して全長を揃えて下さい。
(N) 207849 TM-06 動力ユニット 18m級 A
(N) 212034 TM-07 動力ユニット 17m級 B

パンタグラフです。
(N) 0224 PS13 2ヶ入り
(N) 0238 PG16 2ヶ入り

車両ケースです。8両入ります。無塗装車体が1ヶ入っています。
(N) 229438 鉄道コレクション第14弾 専用ケース

余談ながら・・・。パッと思いついただけでも、塗り替えのネタはありそうです。
大井川鉄道 3829-2829・・・3822-2822の「トランプマン」カラー、はたまた誘導無線アンテナを撤去して名鉄オリジナルに
富山地鉄 14718-18・・・1985年以降のホワイトをベースに窓まわりグレー、窓下レッドの「特急色」。
富山地鉄 14753・・・1984年以前のオレンジとクリームの急行色
他にもネタはありそうです。各自工夫してみて下さい。

試作品の写真です。クリックすると拡大されます。
大井川鉄道モハ3829
大井川鉄道 モハ3829です。

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豊橋鉄道 モハ1721です。

富山地方鉄道 モハ14718
富山地方鉄道 モハ14718です。
余談ながら、現場では「いちよんなな じゅうはち」と呼ぶそうです。上3桁が電動機の出力(PS)、下2桁が番号です。

富山地方鉄道 モハ14753
富山地方鉄道 モハ14753です。

大井川鉄道 クハ861
大井川鉄道 クハ861です。

長野電鉄モハ1003
長野電鉄 モハ1003です。

京福電鉄モハ1003
京福電鉄 モハ1003です。福井支社(現在のえちぜん鉄道)に在籍していました。

続いて・・・。

■京都市電最後の新車。2000形

京都市の市電もなくなって早30年。広電に行った1900形や今回ご紹介する2000形はもう、譲渡先の方が長くなってしまいました。とはいえ、今も元気に働いている姿はまた見に行きたいものです。

1960年代の京都市電。朝ラッシュは想像を絶する状態でした。メインストリートの烏丸通はいくら車両があっても足りず、車両の回転をよくするために、一部の停留所を通過する「急行運転」を実施したりしていました。しかし、それも抜本的な改善にはならず、あとは、車両の大型化なり増結による輸送力増強という結論になりました。広島や北九州・福岡でよく見られる連接車という案もあったものの、昼間は輸送力が過剰。そこで、同じ京都の嵐電や京阪(大津線)のように、連結運転を行うこととなりました。また、同時に閑散時間帯はワンマン運転にして人件費を抑えることとしました。
1964年、連結車2000形が登場。ワンマン運転に備えて、前中扉方式に変更。そして600形青電以来守られてきた伝統の緑とクリームのツートンカラーをやめ、下半分が青に。ワンマン車・連結車というのが遠くからでもわかるようになりました。
2000形は6両が製造。また、不足する分は600形の車体を1m延長して更新工事を施工した2600形を18両用意しました。600形は台車中心間の距離が短いために蛇行動を起こしやすかったのですが、車体延長でピタリとやみ、一石二鳥とも言える改造でした。
まずは、烏丸通-西大路通の4系統に投入。今の広島のグリーンムーバーにも勝るとも劣らないパワフルな活躍ぶりでした。その後、東山通などにも拡大。ラッシュ輸送に威力を発揮しました。
しかし、乗客が減り、赤字も拡大してきたことから連結運転は1970年で中止。単行運転となりました。ちなみに、連結器は嵐電に譲渡されています。
その後、河原町線が廃止になった1977年に引退。2001は交通局で保存、2002~06は瀬戸の花嫁となって松山入りしています。

下記のページで販売中です。
(N) 228721 鉄道コレクション 京都市電2000形
松山に譲渡されたあとの姿も販売中です。
(N) 228684 鉄道コレクション 伊予鉄道2000形
なお、動力装置(TM-TR01)はおかげさまで完売です。
メーカーでは時期は未定ですが、再生産の予定があるとのことです。

■近郊形のスタンダード。111系・115系キット

東海道ベルト地帯から新潟、長野・・・と全国で活躍する111系・115系キットも好評発売中です。今回、サハ115キットも発売になりました。アルファモデルのキットの扱いを始めました。

アルファモデル 111系・115系キット
※詳細はページをご覧下さい。

最後に・・・。
真鍮線のお取り扱いを始めました。φ0.2~0.4がございます。順次増やしていく予定です。
長さは500mmで10本入り。折れにくいケース入りです。
真鍮線各種

それでは、ごゆっくりとお買い物をお楽しみ下さい。