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エヌ小屋・林檎製作所のご案内を執筆中にラウンドハウスの新製品情報が入ってまいりました。別記事になりましたが、ご案内をいたします。
■ステンレスなのにローズピンク。EF81 300
国鉄というのは不思議なところであり、無塗装が売り物のはずのステンレス車を塗装していた時代がありました。古くは日本で2番目に作られたサロ110-900(京阪神地区で最後は活躍したことでも有名)、割と記憶に新しいところでは、首都圏色のキハ35 900。何とこれにはおまけがあって、キハ35 904は相模線色(クリームに青帯)となって同線電化まで活躍していました。そして、ローズピンクに塗られたEF81 300(301・302)があります。
元々1973年に関門トンネルの列車増発用として登場したEF81 300。海底トンネルを走ることから、防錆のためにステンレス車体を採用し、無塗装で銀色の車体を輝かせていました。4両が登場したのですが、1978年10月、いわゆる「53-10」改正で301・302は関門海峡から常磐線の内郷機関区(いわきの近くに存在した機関区)に転属。ステンレスの車体を輝かせて今度は「今は山中、今は浜・・・」と『汽車ポッポ』(唱歌)の歌の舞台となった常磐線で働くかと思いきや・・・。何とローズピンクに塗られてしまいました。ステンレス無塗装の意味がないのではないかと思いますが、当時検査を担当していた工場が「EF81=ローズピンク」という図式だったので、車体の材質には関係なく、「塗っておけ」ということだったのかもしれません。これは、老朽化が進んでおり、1台車1モーターという特殊装備のEF80を置き換えるという目的もありました。
内郷区に転出後は、他のEF81と共に、寝台特急「ゆうづる」から長距離の普通列車、はたまた貨物列車まで取手~藤代、小山~小田林のデッドセクションをまたぎつつ活躍していました。1985年3月にはブルートレインのヘッドマーク取付が復活しましたので、晴れて「ゆうづる」のヘッドマークを取り付けて走ったこともありました。また、同時期にはつくば万博も開催されており、20系、12系など客車総動員で「エキスポライナー」でも活躍をしていた模様です(余談ながら、「エキスポライナー」には401・403・415系はもちろん、583系や58系気動車も動員され、グリーン車も普通車扱いということで、鉄道ファンの間では万博に行かずにグリーン車に乗って日頃は通れない貨物線ルートの試乗をしていたという人もいたようです)。なお、1985年に内郷機関区が閉鎖されたのにともない、名門・田端機関区へ移動しています。
その後、民営化直前の1986年11月には門司機関区に復帰。塗装はそのままであり、常磐線時代の姿を今に伝えています。一度塗ってしまったので、塗装をはがすと汚くなるのではないかと思いますが・・・。
今回はラウンドハウスからEF81 300ローズピンク塗装タイプが発売されます。
銀色塗装のEF81 300をベースにローズピンクに塗ったタイプですが、元々のプロトタイプが303号機だったため、少々ローズピンクの301・302号機とは異なります。
異なる点
前面のコルゲートの処理
301・302号機・・・中央部に縦の板がない
303・304号機・・・中央部に縦の板がある
コルゲートの端面に縦に板が張られているか貼られていないかということです
なお、302号機は1986年に事故に遭い、復旧される際に公式側の乗務員扉間のコルゲートがなくなっています。
また、常磐線用無線アンテナは省略される模様です。
(今の列車無線アンテナとは少々異なる形状で、送信用・受信用の2台が原則として搭載されていました)
このほか、「ゆうづる」のヘッドマークが付属する予定です。
下記のページでご予約受付中です。
(N) 3067-2 国鉄 EF81形300番台 交直流電気機関車 ローズピンク塗装タイプ
・・・ナンバーは選択式ですが、まあ、301号機が妥当なところでしょうか・・・。もちろん、事故に遭う前の302号機でもOKです。
今回、試験的にナンバー取り付け、カプラー交換を出荷時にご希望の方に行うこととしました。少々加工賃を頂きますが、ナンバー取付やカプラー交換がどうも・・・。という方はご利用下さい。もちろん、ナンバー取付だけ、カプラー交換だけでもOKです。
このほか、グリーンマックスの新製品のご案内があります。
■公団住宅二題。
今は「都市再生機構」といい、「UR賃貸住宅」などの呼び名で知られていますが、その昔は「住宅公団」と呼ばれていました。そういえば、今は北総鉄道となっている小室~印旛日本医大の間は住宅都市整備公団(1981年以降の名称)の手によって建設され、オリジナルの車両(2000形→9000形)が走っています。元々は、戦後、住宅不足に陥っていたところへ安く大量に住宅を建設することが目的に「住宅公団」が1955年設立。折からの人口急増で規格型のアパート・・・「団地」が都市近郊の今まで地価が安かったところに大量に建設され、住宅不足の解消に一役買いました。規格型の構造にするのは、もちろん、工期や費用の短縮・節約であり、同じような建物が日本全国に存在します。いわば、E231系の住宅版といえるかもしれません。
関西では、大阪から見て鬼門であり住宅化が遅れていた京阪沿線に大量に出現。香里団地が代表例といえるでしょう。香里園から枚方市にかけての山側に大きな団地があります。元々は弾薬庫でして、戦後払い下げを受けて団地になりました。余談ながら、弾薬庫までは片町線の星田から引き込み線がありました。脱線ついでに言うと、同線の沿線には禁野火薬庫(津田から引き込み線)、祝園弾薬庫(祝園から引き込み線)が存在し、一大軍事路線でもあったということを付け加えておきます。
元に戻りますが・・・。そんな団地達も1950年代終わり頃から建設がスタート。すでに半世紀近い歴史を刻んでいます。老朽化も進み、今のバリアフリーの世の中にはあまりふさわしくないことなどもあり、建て替えられている事例もあちこちで見られます。また、鉄道車両でいう「更新工事」を受けて健在のものもあります。
今回は、公団時代のものと、UR時代の2タイプが発売されます。いずれも完成品です。
前者は鉄道車両で言うところの「原形」であり、後者は「更新車」といえるかもしれません。
下記のページでご予約受付中です。
(N) 2701 公団住宅(公団)
(N) 2702 公団住宅(UR)
■名鉄初の量産VVVF車。3500系グレードア
ここ5年くらいで名鉄の車両もすっかり変わってしまいました。「パノラマカー」はすでになく、「明日の通勤車」と呼ばれた6000系が最古参。その1976年登場の6000系は3扉車を名鉄に本格的に導入した立役者です。その3扉通勤車シリーズも時代の要請や電機品の発達により、徐々に進化していきました。回生ブレーキや界磁チョッパの採用、前面の変化などがありました。そして、1993年にVVVF時代に突入することとなりました。
スタイルは6500系の最終グループ:いわゆる「金魚鉢」スタイルですが、スカートが付いているのが特徴です。また、VVVFの採用と共に、ワンハンドルマスコン・全電気指令式ブレーキを導入。特にブレーキ方式の相違により、6000系(広義)とは混結ができないために、前面に識別のためのエンブレム「ECB」が取り付けられました。
形式は8000番台まで満杯だったため、AL車が付けていた3500系となりました。「いもむし」3400系に続く戦前の最高峰に位置した名誉ある車番です。その先代に負けず、最高速度は120km/h。名古屋本線ではJR東海との熱い戦いがくり広がられている中、ダイヤ全体の「底上げ」に役立っています。そして、この高速指向はその後のVVVF車や5000系(新)に受け継がれています。現在も、快速急行から普通まで幅広く活躍しています。
今回は、登場時のグレードア仕様が発売されます。3扉車をアピールするためにドアの上部を灰色に塗られていました(1980年代半ばは白色)。グレードア仕様は2000年頃までの姿です。名鉄ファンの方はバリエーションとしてどうぞ。
(N) 4263 名鉄3500系 グレードア 4両基本セット
(N) 4264 名鉄3500系 グレードア 4両増結セット
本日は以上です。ごゆっくりとお買い物をお楽しみ下さい。
なお、明日(8月10日)はカトーのセールスミーティングに出かけております。
お問い合わせのお返事が遅くなることがありますので、ご了承下さい。