新製品・再生産品情報

ご利用ありがとうございます。
マイクロエースの新製品のご案内をいたします。
とりあえず、神戸電鉄3000系、京成 新AE形・3300形のご案内をいたします。残りの動力ユニット、リゾートしらかみと再生産品につきましては、明日(8月12日)以降にご案内をいたします。ご了承下さい。

■50パーミルに挑むヒーロー。神戸電鉄3000系

神戸電鉄3000系

関西の大手私鉄といえば、京阪、近鉄、阪急、阪神、南海ですが、その次に準大手私鉄というべき存在の山陽電鉄、そして神戸電鉄が存在しています(した)。中小私鉄にしては輸送量が多く、都市近郊路線であるということでそのような分類が存在しています(した)。※

神戸電鉄は神戸の市街にある新開地(湊川)と六甲山麓のベッドタウンである鈴蘭台、そこから東へ分岐して名湯で知られる有馬温泉、近年も住宅開発が進む三田を目指す有馬線・三田線、また、三田とウッディタウン中央を結ぶ公園都市線、鈴蘭台から西へ進み、刃物で有名な三木を通り播磨平野の粟生を結ぶ粟生線が存在します。戦前は納涼用展望車テン1が存在し、観光路線の性格が強かったのですが、昭和30年代にはいると平地の少ない神戸市は市街地が六甲山の方向に伸びだし、鈴蘭台を中心にで住宅開発が進み始めました。住宅開発といっても、当時は団地も多く、乗客が急増。展望電車どころではなく、クロスシートが自慢の300系もいつしかロングシート化されてしまいました。

そして、車両も2扉の1000系(広義の)が続々と登場。編成も次第に長くなり、ついには5両編成も登場するようになりました。このころ、2両編成・3両編成にラッシュ時だけ連結する増結用の単車1050形や1070形が登場しています。特に後者は1970年代に入っても両運転台で新製されたという非常に珍しい存在でした。

さて、1970年代にはいると大手私鉄でも冷房車が続々と登場し始めます。輸送力増強に追い立てられていた神戸電鉄では、4両編成も常態化してきたため、思い切って1973年に新車を投入します。形式は電気機関車の2001に続く3000系。奇しくも前面2枚窓の神鉄初の高性能車300系と「3」が一致しました。あるいは、「3」という数字に神鉄の思いがあったのかもしれません。公園都市線用の新車が2000系になりましたので。

大手私鉄でもまだまだ珍しかった冷房を搭載。4両固定編成で、連結解放の必要がないために前面は300系譲りの二枚窓。ライトは腰部に、標識灯は上部に。そしてアルミ車体にクリアラッカー仕上げ、窓まわりにはオレンジ色のライン。ユニークなスタイルで「ウルトラマン」と呼ばれました。「ウルトラマン」は地球の救世主ですが、3000系は急増する乗客をさばくための救世主。まさに50パーミルに挑むヒーローとなりました。大手私鉄顔負けの気合いの入った車両はまさに「神戸電鉄ここにあり」という雰囲気でした。

3000系は長く神戸電鉄を代表する車両として君臨。実に1991年まで兄弟が4連×9本の合計36両登場。増備期間が長かったために細部が異なり、3007編成からは標識灯のまわりにくぼみが付けられています。そして3013編成からは大きくスタイルが変わり、クーラーが4台から3台に。側面方向幕は種別・行先が独立型に。乗務員室背後に「K」マークが入りました。また、親会社の阪急のインテリアの変化にあわせて、冷房吹き出し口がラインフロー式に、座席の肘掛けがモケット貼りにというところが大きく変わりました。

余談ながら、1991年は神戸電鉄は新車ラッシュであり、広義の1000系の最終増備車である1500系、3000系、そして公園都市線用のワンマン車2000系の3系列が同時に登場していました。このころが神戸電鉄のもっとも華やかな時代だったのかもしれません。

現在、公園都市線を除く全線で活躍しています。余談ながら、粟生線の先行きが非常に怪しくなってきていますが、どのようなことになるのでしょうか。
長くなりましたが、下記のページでご予約受付中です。
(N) A6990 神戸電鉄 3000系 前期型 登場時 4両セット
(N) A6991 神戸電鉄 3000系 前期型 新塗装 4両セット
新塗装は1987年以降のものです。タイトル写真のカラーです。

※神戸電鉄は現在、中小私鉄という位置づけになっています。それだけ実のところ乗客が減ったわけでして。

余談ながら、他のスタイルのものを・・・。

神戸電鉄3000系

3009編成です。標識灯のくぼみがあるのがおわかりいただけると思います。

神戸電鉄3000系

3015編成です。乗務員室背後に「K」マークが入っています。また、側面方向幕の窓が2つ付いているのがわかると思います。クーラーも1両あたり3台です。

続いて・・・。

■最高速度160km/h。「風」をイメージした京成 新AE形

京成 新AE形「スカイライナー」

1978年、紆余曲折の末、成田空港が開港しました。それにあわせて京成電鉄では上野と成田空港を結ぶ「スカイライナー」の運転を開始しました。当初は成田空港駅が空港と離れていたために乗車率は低迷。1991年に晴れて空港ターミナルビル直下への乗り入れが実現して乗客は急増しました。しかし、それでも新「東京」国際空港(当時)といっている割には都心と空港のアクセスに時間がかかることから、長年にわたり時間短縮の方策について話し合われてきました。最終的に、いわゆる運輸省Bルートを採用。成田空港の近くまで路線が延びてきた北総鉄道を活用し、印旛日本医大~成田空港を建設して大幅なショートカットを実現することにより、所要時間の短縮を図ることとなりました。
建設は比較的順調で2010年7月に開業。「成田スカイアクセス」という愛称が付き、新しい空港アクセス路線が誕生しました。それにあわせて、料金不要の「アクセス特急」が登場。成田空港~羽田空港間を結び、青いラインの3050形と真っ赤な京急新600形・1000形が競演しています。そして、目玉となる有料特急「スカイライナー」はさらなる所要時間短縮を図るために、新車を投入。車両のデザインは世界的に有名な服飾デザイナーの山本寛斎氏を起用。「風」をコンセプトに、「凛」のイメージに合わせた藍色をテーマカラーにして鋭い流線形の前面。日本をイメージしたロゴマーク。車内に入れば日本伝統の市松模様をテーマにしたインテリア。外国人が乗っても恥じないような近未来的なスタイルにまとめ上げました。
形式は二代目の「AE形」。初代の無念を晴らすべく二代目を名乗らせたあたりは京成の空港輸送にかける意気込みを感じます。
最高速度は160km/h。日本の在来線では最高となっています。
優秀なデザイン、高速性などが評価され、2011年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しています。
下記のページでご予約受付中です。
(N) A7370 京成 AE形「スカイライナー」8両セット

本日の記事は最後です。

■京成100年の歴史をここに。最後の赤電3300形のバリエーション

2009年。京成電鉄は創立100周年を迎えました。京成の「成」は成田を意味していますが、元々は成田山新勝寺への善男善女の輸送のために生まれました。成田空港ができる前は「護摩電」「開運号」などという成田詣のための有料列車が走っているほどでした。余談ながら、成田山新勝寺は交通安全に御利益があるということで、大阪の京阪香里園駅近くにある成田山の別院は京阪電鉄が誘致したという歴史があります。
この100年間。京成電鉄は苦しい時代もありました。空港開港が遅れたために設備投資が宙に浮いてしまい、悲惨な状態となったこともありました。塗装も合理化のために変わった時代もありました。しかし、懸命な努力の結果、現在の繁栄があるわけであり、先人達の努力には頭が下がります。
京成では会社創立100周年を記念して、戦後見られた塗装を3300形で再現しました。昭和20年代からの「青電」(緑の濃淡)、1959年の都営地下鉄乗り入れにあわせて登場した華やかな「赤電」(上半分モーンアイボリー、下半分ファイアーオレンジ、間にミスティラベンダの帯とステンレスの縁取りが入るカラー)、そして1980年代、塗装合理化で登場したファイアーオレンジにモーンアイボリーの帯。経営が苦しく、ともすると思い出したくもないようなカラーリングを再現するところが京成の懐が深いところでしょうか。
今回は、これらのリバイバルカラーに現在の新塗装(アクティブシルバーにヒューマンレッド・フューチャーブルーの帯)の合計4タイプが発売されます。京成電鉄100年間の歴史絵巻ということでお好きなカラーリングをお選び下さい。
個人的な感想ですが、京成電鉄はどことなく阪神電鉄の雰囲気がしていて親近感がありました。女性的なスタイルに華やかな塗装。トンネルの反対側の硬派な私鉄とはまた違う独特の雰囲気は興味深いものです。で、一見するとよく似ているように見えるので板キットを使って阪神から京成3200形・3300形を作ろうとするとなんか似ていない・・・。不思議なものでした。同様のことは阪神から山陽3000系を作るときにもいえました。阪神のスタイルは結構独特のものなのでしょうか・・・。

下記のページでご予約受付中です
(N) A7676 京成3300形 更新車 新塗装 6両セット
現在のカラーリングです。

(N) A7678 京成3300形 更新車 復活青電塗装 4両セット
いわゆる青電塗装です。余談ながら、青電塗装は初代の3000形が極短期間塗られていただけで、3300形は登場時も含めて塗られていませんでした。

(N) A7679 京成3300形 更新車 復活赤電塗装 4両セット
やはり赤電といえばこのカラー。女性的なカラーリングは華やかなイメージを醸し出しています。

(N) A7680 京成3300形 更新車 復活ファイアーオレンジ塗装 4両セット
苦難の時代のカラーリングです。沿線住民からは車体の色が経営状態を意味しているなどと言われていたとか・・・。
ちなみに、このカラーは更新直後にまとっていました。

本日は以上です。それでは、ごゆっくりとお買い物をお楽しみ下さい。

新製品・再生産品情報

鉄コレ 土電800形・山陽電気軌道800形・広電350形

ご利用ありがとうございます。
本日は、トミーテックの鉄道コレクション 土電800形、山陽電気軌道800形、広電350形のご予約受付についてご案内いたします。
いずれもナニワ工機製の路面電車で1958年から製造されたものです。張り上げ屋根でおでこにヘッドライトがあり、どことなく似ているのが特徴です。
鉄道コレクションです。そのままではNゲージの線路上を走りませんので、別途動力ユニットをご購入下さい。同時に再生産されます。

では、各車の表情を見ていくことにしましょう。

■山電の大型車・800形。

「山電」というと、兵庫県を走る準大手私鉄の山陽「電鉄」を連想しますが、ここでいう「山電」は山口県の山陽電気「軌道」のことをいいます。どちらも略称は「山電」。「山陽」といっても、結構広いものです。これだけ離れていれば逆に混乱も生じなかったことでしょう。

1926年、山陽電気軌道は下関の市内電車として産声を上げました。最盛期には九州と目と鼻の先の彦島口と国鉄の工場があることで有名な幡生の間を結んでおり、こまめに止まることで国鉄の駅間の乗客を拾う市内電車でした。開業が比較的新しい割に、単車でスタート。しかし、開業4年後の1930年にはボギー車が導入されています。無骨な電車が並ぶ中、1954年に張り上げ屋根のスマートな電車・600形が登場。そして増備車として1957年に700形が登場しました。バス窓・張り上げ屋根のスタイルは「昭和30年代のトレンド」をうまく取り入れています。そして翌年には増備車の800形がデビュー。スタイルは変わらず、台車が変更されているのがポイントです。12m級で両端扉のため収容力があり、重宝されていました。
しかし、市街地の拡大についていけなかったことや、バス・マイカーの発達により1971年限りで路線廃止。お役ご免となりましたが、次に述べる土佐電気鉄道(土電)が目を付け、海を渡って高知入りすることとなりました。
商品はグリーンとクリームに黄色の帯が入ったワンマン色です。

(N) 鉄道コレクション 山陽電気軌道 800形

■海を渡って高知入り。土電800形

さて、海を渡って土電入りした山電800形。番号はそのままで土電で活躍を始めました。ちょうどワンマン車で収容力のある車両が欲しかったところへ出物が出ていたという感じでした。外観はほとんどそのまま、カラーリングをアイボリーに青帯の土電ワンマン色に塗り替えて登場しました。
※一部ネット上の記述で土電入りした際にZパンタ化されたという記事が見られますが、どうやら山電時代に行われている模様で、Zパンタの山電800形の写真がありました。余談。恐らく、ワンマン改造時ではないかと考えられますが・・・。
ただ、Zパンタの位置は山電時代は中央で、土電時代は運転台近くに移設されています。非冷房時代からそのようで、入線した際に他車と仕様を揃えたのかどうなのか・・・。特に路面電車の場合、分岐点の「トロリーコンダクター」がカギとなります。パンタの位置を揃えないとうまく転換しないという問題が発生しますので。資料がなくて申し訳ございませんが・・・。

※余談ながら、広電の「グリーンムーバー」など連接車のパンタが常に片側しか上がっていないのはトロコンをちゃんと動作させるためにパンタの位置あわせをする必要があるという理由もあります。

土電入りしてから今年で実に40年。1997年からは冷房改造を受けているものの、200形がまだまだ健在の今、いきなり低床車に置き換えられるということもなかろうかと思います。
商品は冷房改造後の土電ワンマン色です。
(N) 鉄道コレクション 土電800形

この二種類をどうやって遊ぶか。いちばん手っ取り早いのは両者の屋根板を交換して、2005年から見られた山電カラーの土電702号にしてしまうとか・・・。残った非冷房屋根と土電800形の車体を組み合わせて「非冷房タイプ」にしてしまうとか・・・。Zパンタの位置が異なるようですが、このパンタの移設時期がカギになりそうです。
※車体中央部の窓が1枚小さくなっているのは目をつぶって下さい。あくまでも雰囲気ということで。

なお、動力装置付きセットもご予約受付中です。各ページのオプションをご覧下さい。

■宮島直通の開拓車。広電350形

今、広島電鉄の2号線は広島駅から紙屋町、原爆ドーム、西広島を経由して宮島口まで直通運転する広電の大幹線です。グリーンムーバーなど連接車が次々とやってきて路面電車王国の貫禄を示していますが・・・。一見すると、西広島から先は専用軌道であるとしか認識されていないであろう運転体系を作り上げたのが広電350形(当時850形)でした。
(もっとも、運賃が市内線と宮島線で別れており、宮島線から市内線への直通時には西広島までの運賃プラス60円となっているので、わかる人にはわかりますが・・・)
歴史的ないきさつから広電は己斐(西広島)を境に東側は市内線、西側は鉄道線と別れており、乗換が必要でした。しかし、軌間・架線電圧は同じ。それならば直通してしまえと登場したのが1955年生まれの550形。PCCカーの影響を受けた車両であり、間接制御を採用していました。そして、その増備車といえるのが850形(350形)でした。1958年に登場。出力50kwのモーターを2台搭載し、間接制御を採用。宮島線内での高速運転に対応しました。
車籍は市内線用であり、早速、宮島線への貸し切り列車として運転開始。これができればあとは、定期化は時間の問題。1962年にはピンク色の2000形も登場。仲間がそろったところで晴れて広島駅~宮島間の直通運転を開始しました。直通運転は非常に好評で、連接車の2500形も登場。ついに、1966年には大阪市電1600形の車体をつなぎ合わせて連接車2500形2510番台が登場しました。輸送力増強に追いまくられる中、後輩達がどんどん誕生したために、850形(350形)は市内線用に戻り、グリーンとクリームの市内線標準色に戻りました。
また、1971年には番号が整理され、350形に改番されています。
1984年からは冷房改造を受け、現在に至っています。なお、市内線~宮島線の直通運転の認可は生きており、理論的には宮島線への入線ができるようになっています。
(乗務員の訓練や保安装置の問題がありますが・・・)
現在も足が速くて使いやすいと乗務員には好評です。
(余談ながら・・・元京都市電の1900形も大きくて使いやすいと評判がよいようで、個人的にはうれしい限りです。大阪市電も使いやすそうで、市内線でよく走っています)

下記のページでご予約受付中です。

(N) 鉄道コレクション 広島電鉄 350形

広電ファンの方は、ローズピンクに塗り替えて宮島線直通時代の雰囲気を味わうのもいいかもしれません。腕に自信のある方は非冷房化して下さい。

同時に動力装置が再生産されます。自作、改造などにもご利用下さい。
(N) TM-TR01 鉄コレ動力 路面電車用

また、特製品も発売中です。数に限りがあります。お早めに。

■連結してお楽しみ下さい。京都市電2000形

特製品 鉄道コレクション 京都市電2000形
動力を組み込み済み、連結器を追加しています。

■松山にすっかりなじんでいます。伊予鉄道2000形

特製品 鉄道コレクション 伊予鉄道2000形
動力装置を組み込み済みです。

最後に、入荷品です。

■アーバンネットの通勤形電車。207系です。

JR東西線対応の通勤車です。学研都市線(片町線)、東海道・山陽本線(JR京都線・神戸線)、福知山線(JR宝塚線)を中心に活躍中です。また、朝夕に直通快速としておおさか東線~関西本線(大和路線)でも使用されます。
(N) 92341 207系1000番台 4両基本セット
(N) 92342 207系1000番台 3両増結セット

なお、マイクロエースの新製品につきましては、別途ご案内をいたします。悪しからずご了承下さい。