工作・加工,新製品・再生産品情報

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プラッツの京阪大津線600形「けいおん!」キットが入荷しています。

プラッツ 京阪600形 けいおん!キット

箱を開けてみましょう・・・。箱も取っておきたいようなデザインです。

プラッツ 京阪600形 けいおん!キット

キットのパーツ構成です。
GM603 京阪500/600/260形キットの車体部分:左上
オリジナル FS503形台車他(ダミー):右上
オリジナル はめ込みガラス:左下
オリジナル 床板、床下機器、パンタ、パノラミックウインドーの前面:右下
となっています。

つまり、以前発売されていたGM 603京阪500/600/260形キットの車体を元にオリジナルのパーツをプラスした格好です。窓ガラスははめ込み式です。窓サッシを残してはめ込む構成です。
車体ですが、おまけの260形も含まれています。

プラッツ 京阪600形 けいおん!キット
デカールです。

これだけ眺めていても楽しそうです。
デカールは全面(ガラス部分も含む)タイプと、ガラス用とセットされています。
ガラスを除く車体を組み立てた段階でデカールを貼るやり方と、側面の窓ガラスをはめてからデカールを全面に貼るやり方が選べます。

さて・・・。どうやって組み立てるか・・・。
私ならばという考えですが・・・。

1.車体を組み上げる
2.車体を塗装する。この段階ではクーラーなど屋上機器は取り付けない。
3.側面のガラスをはめ込む。
4.デカールを貼り付ける。貼り付けたら軟化剤を塗る。
5.クリア吹きをする。
6.屋上機器を取り付ける。
7.前面ガラスなどを取り付ける。

ということになるでしょうか。
※失敗しても責任は負いません。よく考えて下さい。

動力装置は、ベルニナ号を使うのがよさそうです。
鉄コレ用TM-04でもいいようですが、動力装置の幅を詰める必要があります。

余談ながら・・・。デカールを貼る前に車体には白色を塗るように推奨されています。
下地の色は・・・とJAMの「おとなの工作談義」でネタになっていた通りであり、下地の色によってデカールの発色が異なります。ちょっとおふざけの要素が入っていましたが、下地の色によって上に塗る色が変わるので気を付けましょうというのが話の趣旨でした。
京急の赤などもよい例であり、下地がピンクか白かそのままかで赤の鮮やかさが変わります。
阪急のマルーンも、下地にぶどう色2号を塗ると、暗い目のマルーンに、ピンク色を塗ると明るめに出ます。
黄色なども一例です。

さらに余談ですが、京阪色に塗ってしまえば、609~614が再現できます。通常カラーもお楽しみ下さい。

長々と書きましたが、下記のページで販売中です。
(N) PO-1 京阪600形「けいおん!」ラッピング電車 未塗装車体キット

足回りのベルニナ号もございます。
(N) 2620 箱根登山鉄道 1000形「ベルニナ号」2両セット

余談ついでですが、京阪のツートンカラーの例が説明書に掲載されています。
GMカラーが品切れでして・・・。
上半分 クレオス 312 グリーン FS34227
下半分 クレオス 124 暗緑色 三菱系

それでは。

新製品・再生産品情報

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トミーテックの大きな柱に成長した鉄道コレクション、2012年12月発売予定品のご予約受付についてご案内いたします。発売時にはすでに完売となることが増えております。お早めにご予約下さい。

■美しき広窓。モハ52系流電二題

トミーテック 鉄道コレクション モハ52系2次車 飯田線 横須賀色

引退してすでに34年。しかし、今なお人々の心の中で走り続けるモハ52系「流電」。
京阪神の急行用として1936年に生を受け、戦前のよき時代を走り、戦時中、不幸にもモハ52006は住吉駅で被災。帰らぬ人となりました。戦後の1950年には阪和線の特急用として転属。阪和のモヨ100の45分運転には及ばず、55分運転だったものの、「国鉄」阪和線を印象づけました。そして、混雑が激化したために1957年に飯田線入り。ここでも、快速用として活躍。当初はオレンジ色と紺色の快速色、ついで1963年からは湘南色、そして、1969年には横須賀色に塗り替えられました。快速列車がなくなった後も、全線通しの列車から豊橋口の輸送力列車まで幅広く活躍。1978年に80系が転入してきて引退しました。
甲武鉄道の電車に始まり、今のN700系新幹線が最高速度300km/hで疾走するまでの長い国電~JR電車の歴史の中でも、当時の大阪鉄道局が流線形の電車を投入して私鉄相手に対抗した点において、特筆すべきポイントの一つでしょう。また、茶色系の塗装は今の225系に至るまで脈々と受け継がれています。鉄道模型の楽しさの一つは、長い鉄道絵巻の一コマを机の上で再現できるところにあるのではないかと感じています。
今回は、1937年に登場した第二次流電が模型化されます。前年に登場した1編成はモハ43形並みの700mm幅の狭窓がズラリと並ぶ端正なサイドビューでしたが、それとはうってかわり、1ボックスに1枚、1,100mm幅の広窓が並ぶ明朗なものとなったのが大きなポイントです。流電ファンでも狭窓派と広窓派がいました。

今回は、1963年から69年の湘南色、1969年から引退までの横須賀色が発売されます。
広窓の流電自体は1984年にグリーンマックスからキットが発売されており、何箱も組んだファンも少なくなかったのではないかと思います。素組で4両編成、クモハ43の側面と切り継いで1次車。そして雨樋を下げてクモハ52005と・・・。で、ニコイチで合いの子のクモハ53007・・・。まあ、鉄コレで最大のポイントといえば、雨樋が下がったクモハ52005でしょうか。
更新修繕の際、同僚の52003と004は張り上げ屋根で残ったのですが、なぜか005だけは普通屋根になってしまい・・・。逆に言うと003と004は電車が好きな担当者が更新修繕も手がけたのかもしれません。流電を美しく更新してあげたかったのでしょう。国鉄内部にも電車が好きな人がたくさんいて、自分の趣味(というわけではありませんが)というのか温情でいろいろとしているのではないかと思えるようなこともよくありますので・・・。
まあ、腕のある方はクモハ52004も003を元に加工して作ってみて下さい。床下はユニット式ですので、比較的簡単にできるかもしれません。単に方転させるだけではなく、床下機器の並びを変えてあげる必要があります。前面のジャンパ栓を削ればそれなりのものができようかと思います。JAMで試作品が並んでおり、52003のジャンパ栓も再現されていました。余談。
模型的には前も後ろも張り上げの方が見栄えがよいかもしれません・・・。

下記のページでご予約受付中です。
(N) 鉄道コレクション 国鉄 モハ52系 2次車 飯田線 (湘南色) 4両セット
クモハ52003-サハ75007+クハ47102-クモハ52005です。
サハ75も時代背景にあわせて0番台(要は2扉)となっているところもポイントです。
余談ながら、運転台を付ければ新潟にいたクハ75になります。各自工夫してみて下さい。

(N) 鉄道コレクション 国鉄 モハ52系 2次車 飯田線 (横須賀色) 4両セット
クモハ52003-サハ75102-サハ75103-クモハ52005です。
サハ75は1969年から3扉化されて100番台となっています。

なお、動力・トレーラー化パーツセット・パンタを取り付けたオリジナル組立品もございます。
【オリジナル組立品】 (N) 鉄道コレクション 国鉄 モハ52系 2次車 飯田線 (湘南色) 4両セット 動力・トレーラー化パーツセット・パンタ組込品
【オリジナル組立品】 (N) 鉄道コレクション 国鉄 モハ52系 2次車 飯田線 (横須賀色) 4両セット 動力・トレーラー化パーツ・パンタ組込品

■復興に貢献した都電6000形

鉄コレ 東京都電 6000形

今も都電は東京の空の下を快走しています。今は荒川線だけになりましたが、1972年に大方の路線が廃止されるまで主力として走り続けたのは6000形でした。第二次大戦で660両あまりの車両が被災したり故障したりで廃車されてしまい、その補充のために1947年から52年にかけて実に290両が誕生したのが6000形です。戦後の物資不足の中、張り上げ屋根のスマートな車体に仕上げた努力は筆舌に尽くしがたいものがあったのではないかと思います。大きく分けると、6001~6174:側窓が10枚で台車がリベット組立式のD10のタイプ、6175~6241:側窓10枚で台車が一体鋳鋼式のD16、6242~6290:側窓が9枚で台車がオイルダンパ付きのD17のタイプに別れます。後天的な改造もあり、実際にはかなりのバラエティがありますが、本が1冊書けるくらいですのでここでは省略します。
本題に戻ると、このスタイルは戦災復旧車の3000形、4000形にも受け継がれ、ある意味都電を代表するものとなりました。

鉄コレが発売されます。プレス用のイラストを見ると6191号車となっています。
下記のページでご予約受付中です。
(N) 鉄道コレクション 東京都交通局 6000形

動力装置組込済みのオリジナル品もご用意しています。
【オリジナル組立品】 (N) 鉄道コレクション 東京都交通局 6000形 動力装置組込品

さて・・・。ここからが話が長いところでして・・・。
リリース文のイラストが「6191」なのですが、台車のイラストはリベットが認められ、D10を再現したのではないかと思われます。JAMで展示されていた試作品もリベット付きでありD10の模様です。
何が言いたいのか。6191は元々台車がD16でリベットがなかったわけです。で、各種文献をあさっていると、荒川線新装時の花電車(オープンカーにせずに車両に装飾を施したもの)として使われている6191の台車を見るとD16でした。6191は現在、府中市内に保存されており、台車がD10になっています。6191は廃車時に6152が履いていたD10と交換した模様で、応急車として残る(後に「一球さん号」として復活する)6152に少しでも状態のよいものを履かせてやりたかったものと推測されます。
まあ、厳密な意味では「保存車仕様」となってしまうのですが・・・。という話でした。恐らく、取材の際に、府中市の交通公園に出かけて、台車が振り替わっていることに気が付かずに模型化してしまったというのが真相ではないかと考えられます。もっとも、このような細かいことを書くと、またもめる原因となってしまいますが・・・。しかし、そのようなことを知ってしまうと書いてしまうわけでして。というわけで、どこかからインレタが出てくれれば、車番を振り替えてしまうのが手なのかもしれません。黄色に赤帯ならば6152でもOKです。モデラーというのは、一度違いに気が付いたら、結構気にしてしまうものなのですが・・・。
まあ、ちょっとした知識程度にとどめて頂ければと思います。

■日本最高所の路面電車。東武日光軌道線100形

鉄コレ 東武100形

国際的観光地として有名な日光に、路面電車が走っていたことを知る人はもう少ないかと思います。
今まで生き延びていたら、きっとすばらしい輸送機関になっていたかも知れないと思うと・・・。でも、それが許されなかった冬の時代があり・・・。残念なところです。
国鉄の日光駅と馬返を結ぶ東武日光軌道線。観光客輸送の他にも沿線の古賀電工から出荷される銅製品の搬出用として重要な路線でした。余談ながら、鉱毒事件で有名な足尾銅山は日光から近く、古くから街道もありました。日光で銅製品を作っているというのは、地理的に足尾から近いという条件があったからです。1910年に開業。道の真ん中をゴロゴロと貨物列車が行き交っていました。戦後になって従来の車両が老朽化したことや、輸送力増強の必要性から1953年に100形が登場。12m級のボギー車で、最急勾配60‰に対応するために発電ブレーキを常用していることが特筆されます。マスコンを逆回しにすると発電ブレーキがかかるというシステムであり、独特の電制音が山々にこだましていました。
地元の宇都宮車輛製で、窓上下の補強帯は外板の内側に隠してスマートさを醸し出しています。
10両が誕生。翌年に登場する連接車200形6編成と共に、日光軌道線の近代化に貢献しました。
1968年に廃止されましたが、岡山電気軌道に譲渡され、ビューゲルを石津式パンタグラフに交換、ワンマン化改造を受けて主力として活躍していました。現在は、冷房がないことから徐々に機器流用や代替廃車で姿を消し、1両が日光時代のカラーで、もう1両が「KURO」として真っ黒に塗られて活躍しています。

鉄コレ製品です。
(N) 鉄道コレクション 東武鉄道 日光軌道線 100形

動力組込済みのオリジナル品もございます。
【オリジナル組立品】 (N) 鉄道コレクション 東武鉄道 日光軌道線 100形(動力組込品)

それでは・・・。
トミックスブランドの商品は別途ご案内します。